今という花
これまでの記憶も
これからの可能性も
すべて今ここにあります
与えられている流れを読み
滞っているところがあれば
丁寧に浚ってゆきます
与えられているものを無視して
今という花を踏みつけていないか
こんな自分なんかと
大地の呼吸から切り離していないか
今という花に愛が注がれるよう
自分に対して
どんな小さな嘘もつかず
自分を満たし安心させてあげよう
いつも感覚を研ぎ澄ませ
流れを受け容れるのです
そうして今という花が
満を持して完璧に
ここに開き散ってゆくのと
共に在ることができる
永遠を湛えた
一瞬のきらめきとして
希望も恐怖も
柔らかく包み込み
みんな一緒に愛の中へ
今という花
それは世界そのもの
そしてわたしそのもの
内なる花
恋い焦がれていた
今しか出会えない妖精
好きな花はたくさんあるけれど
落葉樹の林床に咲く
可憐な春の花が特に好きです
春の発揚とともに
一気にあふれる喜び
束の間の開花がとても愛おしい
森の落ち葉のふかふかベッドの中で
冬の間はじっと内的に過ごし
春は柔らかな光の下で繊細な美を表現し
夏は森の緑に守られ涼やかに
他の緑に隠れて地味だけれど
全く気にせずに遊ぶ
だって大いなるものと一つなのだから
中でも大好きなのはオオバナノエンレイソウです
このようなピュアな花を咲かせますが
延齢草の名が表すように
とても長い時間を生きる草本です
発芽から開花まで10年以上かけて成熟し
開花までの道半ばで命を終わらせるものも多いけれど
一部の開花まで至ったものは安定して花を咲かせ
長いものは50年という時間を生きます
参照:植物生活史図鑑1〜春の植物No.1
ほんの束の間に現れる
その美しい花を見つめていると
悠久の流れの中の
一瞬のきらめきに出会っている
この今に感じ入り
溶けてしまうのです
私はいつか一面に広がる
オオバナノエンレイソウに会いたい
けれど何より
私が見つけたかったのは私の中にある
オオバナノエンレイソウなのかもしれないと
そのことに気づかせてくれたのは
自分とは気持ち良いほど真逆の
ハイビスカスのような方でした
明るく華やかで
多くの人前でパフォーマンスが輝き
燦々と降り注ぐ陽光がとても似合う
活力のあふれる方
体操やハーブなどを通して
人々を元気にしたいという思いを表現し
活躍の場を北海道だけでなく沖縄にまで広げようとしていて
意識は国境すら越えている
自分にはできない性質を
喜びいっぱいに生きてくださっていること
本当にありがとうございます
(はじめてお会いしたのはオオバナノエンレイソウのモチーフが校章となっている、北海道大学でした^^)
自分と真逆の方と
同じ思いで繋がり
互いをリスペクトして
心地よく自分らしさにコミットできるという幸せ
真逆だからこそ
補い合い
引き出し合い
新しい創造性が生まれる
活きる環境も
在り方も
雰囲気も
流れる時間も
みんな違うけれど
そんなものは越えて手をつなぎ
幸せな世界を広げてゆける
それぞれが咲きたいところで
イキイキと咲くだけ
そこに価値の優劣なんか1ミリもなくて
真逆の人とは刺激と創造性を
似通った人とは癒しと安心感を分かち合えるから
どんな人もそのままで本当にありがとう
私は、
いっぱい注目されるよりも
たくさんの人の前に出るよりも
静かに対話をする方が心地よい
多くを表現するより
微細な世界を純度高くゆっくり分かち合える方が嬉しい
でも、それはわがままであり
内なる思いを循環させるためには
太陽の下に飛び出さないといけないと思っていました、、
けれど、オオバナノエンレイソウは強い日差しの下では
美しさを失い、力を失い、生きてはゆけないのだから
自分の心地よい在り方を否定することは
自分という花を合わない環境に植えるようなもの
オオバナノエンレイソウのままで
このままだからこそ愛し愛され
純度の高いエネルギーを世界に注げるのです
私は世界の木陰で
愛を歌い、喜びを創造する
そうして、あなたの中の美しい花と出会います
ヨモギの里
今年も愛しいヨモギの里を訪れました
美しいヨモギ畑
雪残る大雪山
山から流れてくる豊かさと人の営みとの間にあるもの
(ヨモギのハウスでの作業風景、今年はさらに現地でのご縁が深まりますますパワフルな4MGさん♡)
そこここに神様を感じる
ここに来ると
“ただいま”という
感謝を伝えたくなります
自分の内側の大切な柔らかいところと
共鳴する場所
心のふるさとのような、、
温かく優しいエネルギーに満たされて
新しい眼差しでまた未来を見るのです
背高のっぽの、昨年のヨモギの穂と
まだ小さくて可愛い、今年の若芽
このコントラストがまた感慨深い
私がもしヨモギなら
ここに根を下ろしたいって思う
昨年も今年もこれからも
本当にありがとう
4MGさん
温かく迎えてくださりありがとうございました
また、つながりを深めることができて
心から嬉しく思います
素敵な記事にしていただき感激!
出会えて無条件に嬉しい
そんな喜びを交換し合えることは本当に幸せなことです
オオバナノエンレイソウのポイントをチェックしてくださっていて
一緒に会いに行ってきました
最高に見頃のタイミングで
目から、毛穴から、全身で薬効いただいてきました
共に過ごした心躍るキラキラした一日
大切な宝物がまたひとつ
ありがとうございます
いただいたお土産も沁みました
福岡県の糸島のお店のもの
4MGさんのヨモギを使ったパンやお菓子があり〼
4MGさんこだわりのサシェ
オオヨモギとラベンダーが入っています
イタリアの上質な生地を使用していて
香りも手触りもうっとり
こんな素敵なものがあると
タンスの中も世界が変わりますよね
恵みがいっぱい
ありがとうがいっぱいです
言葉は半分
言葉は半分
伝えるけれど
すり抜け
受け取るけれど
流れてゆきます
その言葉の意味は
話し手受け手の前提で変容し
多くは見せたいもので
飾り立てられて
それぞれが受け取りたいものを
受け取っています
発される言葉の中には
真実はなかったりして
ずっとずっと
大きな流れの中に
内包されている
一欠片に過ぎないという要素も少なからず
言葉尻を大げさにするより
川を流れる一枚の落ち葉のように
ふわりと印象を受け取る方が
お互い楽につながれます
取るに足らないということではなく
半分の向こう側を
ちゃんと抱きしめるということ
誰の言葉も
もちろん私のものだって
そうだから
半分だなって眺めていると
どんな表現も、その余白から
前提や想いが立体的に浮かび上がってきます
その中に魂があり、ベクトルがある
それこそが世界を創造しているという気がしてきます
表現のパッケージがどんなものだとしても
丁寧に何重にも包まれたその奥には
純粋な思いがつまっている
そんな領域がある
いつでもその思いに心を重ねていたい
そして私も
自然と愛の浮かび上がるような言葉を紡ぎたいのです
ゆっくりでいいから
大切に
エッセンスを
抽出するように、、
言葉は半分
だからこそ
私は言葉を敬愛しています
ーーーーーーーーーー
シソ科植物は
唇形花といって
唇の形をした花を咲かせます
楽しいおしゃべりが聞こえてくるようですね
スッキリと香り豊かなものが多く
中性的な美しさ
軽やかな躍動
豊かな表現力が伝わってきます
ザワザワしたものではなくて
神経系を研ぎ澄まし
静けさをもたらす一方で
大切なところへ集中してゆくような
真の無邪気さ
何ものにも囚われず
軽やかに歌い踊り回るようで
中にはちゃんと一本軸が通っている
自分らしい表現
深い知性やハートと繋がった表現
そことずれてしまい
不調和が起こっても
つながりを再び通そうとする
自分の中の意志との共鳴
そんな対話のお供になってくれるように思います
ウツボグサ
カキドオシ
オドリコソウ
ここにあるもの
朝の澄んだ光
呼吸できるということ
水が飲めるということ
緑の美しいきらめき
雨のしとやかさ
太陽の温もり
愛する人の笑顔
思いを言葉に紡げるということ
伝える相手がいるということ
家に明るさが灯るということ
温かいご飯が食べられるということ
豊かさを感じる肉体があるということ
生きているということ
私たちはともすると
何もないと思ってしまうことがあります
その果てしない欠乏感は
埋めても埋めても満たされることはなく
そうやって気づかないうちに
大切なものを
傷つけているのかもしれませんね
こんなにも豊かな世界が
目の前に与えられています
それをいつも忘れずに
恐れに惑わされずに
愛を受け取り
感謝を伝えることができますように
愛をいっぱいに受け取り
享受すること
世界の愛に応えること
そこに罪悪感は一切要らないのだから
深く自分の根っこから
その循環に繋がれば
目の前には甘美な世界が創造されるでしょう
気高いその存在を
ほんとうは何者も侵すことはできないのです
バラはそんな気高さに溢れています
原種に近い野生種であるハマナスは
素朴に純粋に
私たちにその在り方を伝えてくれているように思います
チベットの精神医学
色心不二
自他不二の生命観に根ざした
医道即仏道の
チベット医学の粋!
とある古本屋で
帯の言葉に引きつけられ出会った
一冊の本が面白すぎます
その精緻な生命観は美しく最高にクール!
癒しとは
薬とは
医薬の道とは
その真ん中にあるものとは、、
個々の仏性、圧倒的な輝きが
当たり前にあるものだと
知っているという智慧
循環(関係性)の中において
その輝きを受け取ることで
引き出す在り方
このことは書かれてはいないけれど
自分がこの本を読んで
心の中に強調されたことです
(仏陀の本性の女性的な側面を表す菩薩ターラー)
自分の内にそのかけらでも見出したいものです、、
メモ代わりに本の内容を一部抽出したので
興味のある方はのぞいてみてください(^^)
ーーーーーーーーーーーーーーー
あらゆる現象は鏡に映る像のごとく、まことにその人自身の心に抱かれた概念にすぎない
心身のあらゆる病や苦の源は、心を調律することをなおざりにしていることにある
精神病の一般的で根本的な原因は、人間の最も奥深いところにある霊的な傾向や見識、またその者に内在する心理的傾向(気質)に反した生活を送ること
病はわれわれが行なっていることが根本的に均衡を欠いたものであることを示す信号である
しかし、罪の意識や自責の念は、迷妄によって生ずる障害を増やすだけであり、さらに不安や疾病の原因となってしまう
自分自身に対して完全に正直であること、心を開くことが必要
病はわれわれを成長させ、過去の否定的な行動を悟らせ、また自己治療を通じて自己啓発の実践に入る機会を提供してくれる
目先の治癒を求めないこと
霊的なレベルにおいて根本的な毒が存在しているのであるから、症状を強制的に取り除くなら、その毒の悪影響がさらに増大する可能性がある
脈管(*1)をまっすぐに維持することにより、霊的な力、すなわち風はおのずと適切に流れる
こうなると精神は自然にくつろぎ、安らかで快適な状態となる
姿勢は精神に影響を及ぼす
ヨーガの呼吸法を行う時は、背筋を伸ばすことが特に重要なのである
狂気の五つの原因(互いに関連しあっている)
①カルマ
過去の性癖、習慣、行為に起因する(魂の課題とも言える)
身体それ自体は三種の根本的な煩悩(三毒、貪欲・嫌悪・無知)の力によって生成される
(カルマを伴う意識が輪廻の中でこの世に引きつけられ生命が生まれる)
薬になるのはダルマの実践のみ
⇨徳行(愛と善行と慈悲の啓発)、禅定(精神の制御)、智慧の啓発(縁起による相互依存的起因、空性の認識)
ダルマの実践は根本的な分裂と分割を再統合する働きをする
いかにして激しい苦を自己憐憫や狂気ではなく、慈悲と智慧へと変えていくことができるかということ
現在の状況を経験する時の智慧のあり方が、われわれの未来を決定する新しいカルマを生み出す
われわれの現在の状況は宿命的ではなく、きわめて創造的である
②悲嘆や心配など
体液の障害を生み出す⇨③
③身体における均衡の崩れ(体液の不均衡)
三つの体液は、精神的局面においては、主体と客体との二元性(*2)を生じさせ、生命と宇宙とを表出するカルマの力を生む
⑴風素(ルン)=アーユルヴェーダのヴァータに相当
過剰により情緒不安定・落ち着きがない・緊張・集中力散漫
(全ての精神の乱れは風素の撹乱が絡む)
貪欲・愛欲・執着が毒となる
禁欲、精神的な負担、睡眠や食べ物の不足、自然な排泄作用の抑圧などによっても増加
病んだ時には暖かい環境、親しい友とくつろぐ、睡眠を十分にとる、適切な呼吸法
油っこく滋養のある食べ物がよい
甘・酸・鹹(しおからい)味、油性・重性・滑性の薬
⑵胆汁素(チーパ)=ピッタに相当
過剰により、攻撃的で激しい狂気
嫌悪や怒りが毒となる
過度の興奮・環境の変化・激務・照りつける太陽の下にいることによっても悪化
病んだときには、涼しく静かな環境、冷性の食べ物が良い
気分を楽にしゆっくりふるまうこと
甘・苦・(渋)味、希薄性・鈍性・穏和性・寒性の薬
⑶粘液素(ベーゲン)=カパに相当
過剰により、心を閉ざし、沈黙・不活発で憂鬱
精神的迷妄・無知・身体的怠惰が毒となる
重い食事、湿気の多い場所、惰眠・意気消沈などによっても悪化
病んだときには、運動が有効、暖かい環境・火の近くに座る、熱性の食べ物がよい
辛・酸・渋味、鋭性・粗性・軽性の薬
④毒
⑤悪魔的影響力
悪魔は、恒常的な「我」の存在という幻想に執着する根源的な無知から生ずる
悪魔は内部からわれわれに襲いかかる集合無意識の否定的元型(*3)としても説明できる
幽霊は自らの否定的な投影、あまりに恐ろしくて意識のなかへ入れるのを容認できず、外部へと投げ出した結果、われわれを襲って来る、内部にある暗い力のこと
自我から疎外された無意識的人格や衝動と解釈できる
悪霊は概念化作用から生じ、精神の二元性に由来する
霊もわれわれも空(くう)であり、何ものもわれわれに危害を加えることができない
空性を認識することによって、そうした区別は全くなくなり、あらゆる病や否定的なものは調伏され滅せられる
悪魔払いに必要とされるのは、空性への理解と霊に対する慈悲である
それがあれば手の込んだ儀式や悪魔払いは本当は必要ない
優れたチベット医は薬物をそれにふさわしい敬意をもって扱い、それを薬師如来への供物とみなす
医師が優れた医薬をつくり出せるかどうかは、医師の感受性や心の明晰さ、そして特に他者を救済しようとする意図の純粋さにかかっている
*1 脈管:霊的な風(気)と精滴(生命のエッセンス)の存在するところ。固定的なものではない。中央脈管にはチャクラが観想される
*2 二元性:自と他、主と客、善と悪、明と暗、陰と陽など、背反する二つの構成要素に分けられるという概念。
*3 元型:集合的無意識の中に共通する象徴的なイメージ像。ユング心理学の概念。
信仰
信じること、信仰は素敵なことだと思います
ただ、それが盲目的になっていないかどうか
不安や自分への否定の苦しみから
逃れ、目を背けるために
自分の感覚を塞ぎ、盲目的に仰いでいたら
その信仰の対象がなんであれ(イデオロギーでも学びでも)
自分から乖離してゆき、更に苦しみに悶えることでしょう
行き過ぎると
信じたことを肯定するため
信仰を否定するものへの排除に
突き進んでしまうこともあります
偉大な宗教というのはもともと
ピュアで根源的な本質から興ったものなのに
盲目的な信仰とそれを利用する構造とがマッチして
肥大化し、癒着、争い、搾取、不幸をもたらしたと
私は受け止めています
一方的に騙されたとか、陥れられたとか
そういうことじゃないんだと思います
みんなひとつなんだから
逆に宗教を一括りにして拒絶するのも
思考も感覚も停止していて
もったいないことです
※私は特定の宗教に所属してはおりません
まずは自分のハートで感じること
自分の映す世界に目を見開き
呼ぶ声に耳を澄まし
心地よさや痛みを感受し
それを信じ、想いを循環させること
世界とちゃんと向き合い対話し
ハートで感じ、愛を満たすこと
それが自分軸の祈り、信仰なんだと思います
古来よりアジア南部で信仰と関わりが深かった
ホーリーバジル
このハーブが寄り添ってきたのは
きっと盲目的な信仰ではなく
自分軸の信仰
その姿、香り、味の中に
鏡に映された神を見たのでしょう
自分でない軸ががんこに居座っていたら
ハートは閉ざされ
ホーリーバジルの声は届きません
心を開き
深い呼吸の中で
その美しい姿を愛で
香りを沁み込ませ
味わい尽くしたなら
胸から温かいものが溢れてくる
それは内なる神との再会
自分とひとつである世界との調和を思い出させてくれる
自分軸から世界との関わりを調え
クリアにしてゆくことは
呼吸器系、免疫系、神経系、ストレス耐性の向上、脳機能明晰化などという
ホーリーバジルの作用に反映されてきます
ホーリーバジルは確かに多くの人の神性に共鳴したわけですが
これを絶対視することもまた盲目となります
何であれ
同じように
愛を感じるものがあれば
それもまた内なる神との対話
日によって変わってもいいし
毎日同じでもいい
けれどいつでも新しく
神様と出会えること
内なる神は今ここにしかおらず
つかまえておくことなどできません
信仰は美しく繊細な日々の営みなのですね
なんと素敵なことでしょうか
今日も新しく愛を満たすことができますように
器を育む
ヨモギは女性性の器という言葉がしっくりくる
(オオヨモギArtemisia montanaまたはヨモギArtemisia princeps)
愛の器
包容力
懐の大きさ
Being そこに存在しているということ
そこへの圧倒的な肯定感
温かい血液という愛を巡らし
心を鎮め穏やかに柔らかに今ここに
いつでも自分のピュアなところにつながっている
地に足のついた生命力
周りを幸せに包む赤子のようであり
キラキラした春を享受する少女のようであり
男を深く愛する女のようであり
胎児を包む子宮のようであり
子を見守り育てる母のようであり
世界を統べる女王のようであり
しわしわの手で大切なものを愛でる老女のようであり
そこには揺らがない自分軸がある
男女関わらず
全ての人の中にある女性性
受け取ることは
すなわち与えること
受け取り、愛する循環が
時空を超えて
畳み込まれるように
今ここに存在している
ハーブの女王と呼ばれ
神話の女神アルテミスに象徴される
その存在の力
多くは自ら隠してしまっている
あるがままの美しさ
その美しさを全肯定することから発露される力を
全ての人が受け取ることができたら(もちろん私も含めて!)
愛を包む器から循環が巻き起こったなら
とっても素敵ですね
そんな想いもあり
ヨモギの存在を
ますます大切に感じている今日この頃です
※ヨモギの素晴らしさに光を当てたコラボ商品がリリース予定です
ベストなタイミングでご紹介できると思いますのでどうぞご期待ください(^^)
他にも
女性性の器を豊かにするため自分なりの心がけ
なんかいいかも!って思うので続けてみたいと思います
①その器があることを自分で認識すること
②下半身の筋トレ
ストイックじゃなくていいから習慣にする
③腰回りにどっしりとしたエネルギーが巡るような瞑想
この状態で歌うと安定したふくよかな声になる(笑
④自然な良い姿勢を心がける(⇨自分軸)
(①〜④は男女関わらずもともとの器が豊かになるのに役立つのじゃないかな)
⑤まず自分を受け入れる、自分に幸せを与える
自分を柔らかい空気感で包む
⑥笑顔をデフォルトにする
違うときがあっても気にしない(笑)
⑦理不尽に感じることの裏にも愛を見て受け取る
その場でできなくても後から気づくでOK
⑧コントロールを手放す
イライラするときはだいたいコントロールしようとしている
⑨いただくときは罪悪感なく思い切り喜んでいただく
食べ物も、豊かな時間も、お金も、優しさも、、
⑩実際にたくさん愛を表現していく
不器用でもいいのです
大きな木に心を重ねて
悩んだとき
苦しいとき
行き詰ったときは
この視点、この視座には答えがないのかもしれません
問題を凝視する目を外して
リラックスしてみましょう
ぼやっと抽象的であるのとは違い
抽象度が高いというのは多くの情報量を含みます
大きな木に心を重ねてみましょう
長い年月の刻まれた年輪
地に張る根っこから
空を仰ぐ高い樹冠まで
周りの生き物を包容し
その存在によって環境に豊かさを与え合っています
この苦しい視点は
細い枝一本だけを見つめていただけなのかもしれません
この枝が折れたら
樹木全体の風通しが良くなり
光や鳥たちともっと素敵な関係になれるのかもしれない
他の枝や葉や幹や根、花そして実も
種を運ぶ鳥や
花に訪れる虫や
共生する微生物たち
土の栄養
空気の成分
隣接する木々たち
それらが有機的に繋がる大きな森
種の記憶
芽吹きの瞬間
幼木のころ
どこかで自分の種から芽吹く未来
時間を超えて全て今に重なる
みんなここにつながって循環しています
行き詰って見えるとしたら
切り離しているのは自分の見方なのかもしれません
大きな可能性の雲の中で
空っぽになって
大きな木の愛に包まれてみましょう
空っぽであれば
どこかに飛んで行くことはなくて
切り離して
遠くに飛ばしてしまうとしたら
それは自分の見方の仕業だから
きっとそんな空っぽの時間が
幹と根っことの繋がりを
思い出させてくれることでしょう
存在の魔法
“私は完璧”
メリーポピンズ
彼女の存在はとてもスマートで美しいのです
きっとその自己肯定感は
魔法を在らしめている大事なポイントなんでしょう
困った時はひっくり返って見てみたら
違った景色が見える!
暗いときは小さな火を灯そう
それは生涯あなたを照らす
何だって可能なのだから
不可能なことさえ!
純粋な心ほど大切なものはない
楽しく素晴らしい人生を
そんなメッセージとともに
あらゆる感覚から
扉を閉じた人々の心に鮮やかな魔法をかけてゆきます
でも誰かのしたいことより前に出しゃばったりすることはありません
時が来れば去ってゆく
どこか寂しくそれが彼女の美しさでもあります
執着したら魔法は存在できないのかもしれませんね
彼女はただありのまま
その存在が魔法
愛は爽やかに奇跡を起こし
そして飛び立ってゆきます
映画の中で印象的に登場する桜の舞うシーン
桜吹雪とともに一家の扉が開くのを感じて
メリーポピンズは去り時を知るのです
周りを惹きつけ
嬉しい気持ちと
さりげない浄化をもたらし
愛の魔法をかけて去ってゆく
彼女の存在は
まさに桜の花のようです